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ご存知本願寺。西と東と相対している。この西と東は「対立」しているのだろうか?いまだに良くわからない。世界遺産としての登録はここ西本願寺だ。この日は不思議といつもより早起きだ。早朝に目が覚めた。そして、身体も心も起きがけから冴えていた。お盆の京都市内は静かな朝。そして街はまだ目を覚ましていない。朝飯前にここへ向かった。朝早くにも関わらず、これだけの人で賑わっていた。さすがにこの時間は観光客はいない。ここにいる人達はみな檀家さんだ。朝のお勤めに集まって来ていた。これが京都を支える人の心なのだろう。長い伝統と歴史と良く言われる京都だけれど、この信仰のある人の集まり自体が京都そのものなのでは無いだろうか?本当に心が浄化される朝の1日だった。 西本願寺には大変しつれいでございますが、東のお話しを。そう東本願寺。 大人(社会人として節度ある行動が出来るようになった時)として京都に訪れたのが確か20歳の頃だったと思う。友人達と京都旅行に出かけた時に見た東本願寺に大変見せられた。以来、京都に何度出かけても尋ねる事が出来ないでいた聖地だ。駅から近いせいもあり、帰りの時間調整で行ける?との安心感からいつも遠回りになっていた。今年の終戦記念日8月15日にふたたび尋ねる機会に巡り会えた。はっきり言います。私はお東さん贔屓です。 この日、東本願寺で周囲を憚らず本堂の畳の上で泣いてしまった。 宗教とか、宗派とか、そのような偏見を持たずに、この記事を読んで欲しい。以下一部紹介します。 今、目の前で自殺しようとする人に対して何を言うか、何をするかを考えればいいんじゃないかな。同じ人間ですから。よく命をもって償えと言う人がいるけれど、人をもし殺したなら、自分の命をもってしても絶対に償えない。命は二度と復元しない。だから人は人を殺してはいけないんです。 被害者遺族について言えば、人が死ぬことを願う人生なんて、つらいはずだと僕は思います。ところが、いまの世の中は。「そうだ、殺せ、殺せ」でしょう。もしも自分の友人や家族だったら、そんあ安易な同調はしないはずです。 加害者や被害者の方の気持ちはもっと複雑です。一番苦しんでいるのは「死んでくれ」と願ってている被害者遺族の方かも知れないし、「殺してくれ」と願っているその死刑囚かもしれない。 悪いことをしたから死刑だと短絡的に考えてしまいがちですが、それは何の解決にもならない。もっとも第三者、つまり僕たちが、自分たちが第三者でしかないことを自覚すると同時に、この状況に積極的に介入すること、他者性を失わずに、でも目を逸らさず向き合って行く事が大切です。 これは真宗大谷派 東本願寺発行の同朋新聞に連載された作家・森達也さんの対談記録の一部です。 実際にははるかに多くの記事がありました。本堂で新聞を読みながら涙がとまらず、読み続けました。 じゃあ、明確に死刑制度反対か?と言われれば、それは判らない。だた、やはり、人が死ぬことを願う事は大変辛い事。だからこそ人は人を殺めては行けない。本当にそうだと思う。 ひとつの事に人生観が変わった一瞬だったと思う。本当に深く考えさせられた1日。この日がまさか8月15日だった事に意味があるのだろう。自分自身の残りの人生にとても大切にしたい1日だったと思う。合掌。 |
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